楽しそうな人が好きだなあと、つくづく思う。

楽しそうに話す人、楽しそうに働く人
楽しそうな人のまわりには、「楽しもう」という明るい気質の人が集まってくる。
どんなに興味のなかった話題でも、楽しそうに話されると「いいなあ」とか「やってみたい」と思えてくるから不思議だ。応援したいとか、一緒になにかやりたいなんて気持ちも芽生えてくる。

そういう人に会うと、「ああ私もこうありたい!」と強く思うのだけれど、なぜだろうかと考えると、たいてい、小さかった頃の記憶が影響している気がしてならない。



子どものころ、私のまわりには楽しそうな大人があまりいなかったように思われる。
「仕事が楽しい」というと一言めに「信じられない」と返ってくるうちの父親を筆頭に、母もそうだし、学校の先生にも「全くもって楽しくてしょうがないぞ!」というオーラを放っている人はいなかったような気がする。自分の好きなこと・ものを語る大人がいなかった、とも言っていいと思う。
つまりは私の中で、「仕事=楽しくないこと」「好きなことでは食っていけない」「人生は思い通りにいかないことばかり」ということが普通になっていたのだろうな。


一方で自分の仕事に関しては、学生時代のバイトでさえ好きだから喜んでシフトを入れたし、入社して一番驚いたことは「仕事ってこんなに楽しいんだ!」という発見だった。大学進学に就職にと、予定通りでない人生の進路選択も最高だったと思っている。

それで今、社会人2年めに入ったところだけれど、仕事柄いろいろな方に会い話を聞くに、やはり楽しそうな人が最強なのではないかと思っている。



楽しそうな人は信頼できる。

自分がしていることを人にすすめることができる。
自分が今なぜそれをしているかを、語ることができる。
これほど信頼できることはないのではないかしら。
そこには嘘がひとつもない。



そんなことを思ったのも、楽しそうに自分の仕事を語る農家さんを取材したことがきっかけだ。

子どもに農業の楽しさを伝えようと、農業体験の機会をつくっている方だった。
きつい、きたないといった農業のイメージを壊したいと、これからの未来をつくる子どもに、身をもってその楽しさを伝えている。
土をさわったり、におったり、野菜を収穫してみたり、もぎたてを食べてみたり。
そんな中で農業の楽しさやおもしろさをきっと知っていくのだろうけど、一番はその農家さんの様子や姿勢が影響を与えていて、それこそが農業のイメージを変えるきっかけなのだと私は思う。
いくら「これは最高だよ、楽しいよ」と伝えても、当の本人が思っていなければ共感はさせられない。
楽しそうな人が、楽しそうに伝えてくれることこそ信じられる正しさだと思う。


自分の仕事を楽しそうに語り、誇りを持って働いている人がとても好きです。
楽しそうに働く人と、もっと仕事したい。
楽しそうに課題に向き合う人を応援したい。

いつか後輩ができたら、子どもができたら、楽しそうに自分の仕事を語りたい。
どんな仕事でも無邪気に楽しむ、末恐ろしい後輩になりたい。

そんなことを思う2年目でございます。